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2002.01.09 (Wed)

「グッバイ・ミスティ・ラブ」野村史子

おまえの愛は、決して、誰からも奪われることはない。


初出1987年「小説JUNE 8月号」/
『レザナンス・コネクション』収録 1990年 角川スニーカー文庫

【内容】
森川真二(真)は仕事で訪れたロンドンで12年振りに、街角でヴァイオリンを弾く透を見かける。
2才になる前に母を亡くした真を育て、愛してくれたのが当時17才の透だった。だが、11才の誕生日の翌日、透はふらりと出て行ってしまったのだ。
真は街で引っ掛けたチェックの中に透の面影を求める。自分を抱きながら真が別の人間を求めていることを知りつつも、チェックはそれを受け入れる。
透への経ち切れぬ想いと、チェックの愛情に応えられない自分に疲れ、真は日本に帰る決心をするが、別れを告げに行ったアパートで真はついに透を犯してしまう。
その日のうちに姿を消した透と、自分を慕うチェックへ罪悪感に苛まれながら、真は日本に帰る。傷ついたチェックは、やがてゲイ・コミュニストのリューと結ばれ、2人で解放運動を続けるという困難な道を選ぶ。

それから2度目の秋、透が見つかったという連絡を受け、真は再びロンドンへ向かう。
病院で再会した透は、だが真を分からなかった。
永遠に透を喪失した真の元にチェックからリューの死を知らせる手紙が届く。愛する人を失いつつも、チェックは、これからもリューとの夢を育てていく決意を告げるのだった。


【書評】
率直にいえばリュー以外の登場人物はモラトリアムでしょう。真にしろ透にしろ、自己完結してしまった愛は奪うだけで発展することはありません。その視点からいくとチェックだけがモラトリアムから脱します。
チェックの愛は相手のすべてを受け止め、容認しようとする愛です。
「アホで卑猥で無教養」と真に罵られながらも、チェックはその苦悩さえ涙とともに呑み込もうとします。その純粋さゆえ、チェックはずたずたに引き裂かれながらも、愛に前向きなのでしょう。
リューの手助けもありますが、自己嫌悪の深いチェックが自分を愛するようになり、自分に自信を得て、そして人を愛したとき、その愛は相手をも成長させるのではないでしょうか。
自信に裏打ちされた愛は、たとえ理不尽な理由でリューを失っても終止符が打たれることはありません。与える愛は与得る愛でもあるのです。
しかし残念ながら真の愛は奪うだけでした。チェックを利用し、透から奪うことしかできなかった愛が真に残したものは喪失感だけだったのです。
一所に落ち着けず、風のようにしか生きられない透もまた、モラトリアムから逃れようとすることすら放棄した人間ではないでしょうか。彼が唯一愛したのは、11才で置き去りにした幼い日の真でした。
透が無条件に愛した対象は、真にとっては幻想でしかありません。
他ならぬ真によって破壊された透の愛は遂に現実と向き合うこともないまま、彼は自分の愛した頃の、幼い真の住む世界に閉じこもってしまいます。
それぞれの孤独な愛を冷厳と突き放した真の目で見つめつつも、精細に描かれています。


関連記事
「テイク・ラブ」(新装版)
「テイク・ラブ」
「レザナンス・コネクション-共鳴関係-」
■「グッバイ・ミスティ・ラブ」
■【【作者紹介】





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19:26  |  野村史子  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2002.01.08 (Tue)

「テイク・ラブ」野村史子

「あいつは何も恐れちゃいない。何にも縋っちゃいない。あいつ自身の魂だけだ。
  お前に愛されている、という、あいつ自身のな……」


初出1986年10月「小説JUNE」/1991年 角川スニーカー文庫
2007年10月 KAREN文庫 Mシリーズから復刻版。

【内容】
15年振りにエクアドルから戻ってきた山崎が、かつての恋人である春樹を探し求め、再会するまでを、過去と交錯しつつ描かれている。
大学紛争の只中に活動家の山崎と、男と寝ることで生きている15才の春樹は音楽を通して出会う。アンデスに憧憬しつつ、学生運動の闘争形態を模索する山崎は忙しさもあって、春樹を愛しながらもその魂の寂しさを理解していなかった。
ある日、山崎は逮捕される。やつあたりのように活動メンバーたちに吊るし上げられ、精神的にズタズタにされた春樹と、兄である山崎に肉親以上の感情を抱く礼子は、山崎を求める互いの寂しい心を寄せ合うように身体を重ねてしまう。ただ一度の情交で礼子は春樹の子供を身ごもってしまう。
絶望と葛藤の末、春樹は礼子を刺し殺してしまうが、礼子の命と引き換えに生まれたのが夏樹だった。

少年院送致となった春樹を許すこともできず、消耗しつくしていた山崎はすべてを放棄してエクアドルの解放戦線に身を投じるために出国する。春樹は自殺未遂の果てに精神を病んでしまうが、やがてピアノと夏樹の存在で辛うじて生に繋がっていた。
15年後の再会はまた、別れを意味していた。だが、春樹は危うい精神バランスのなかで、山崎の愛を力強く確信し、生きてゆく希望を見出すのである。

【書評】
作品を読んで最初に連想したのは、柴田翔氏の「されど我らが日々」でした(確か芥川賞受賞作品)。大学紛争という時代に翻弄される、傷ついた青春群像といった内容です。
その時代をセピア色の思い出と語りながら、若さ故の残酷さ、無情さを、清冽に描いているのが本書です。
山崎はすでに確固たる自我を持ち、将来の夢もしっかりと持っています。自分に厳しく、それ故、春樹に求めるものも二律背反の厳しさがあります。それは真の挫折を経験していないからこその強さであり、その強さは人の弱さに対して、残酷なほど鈍感にさせます。それ故、山崎は春樹の飢餓的孤独に気づくことが出来ません。理解できないといってもいいでしょう。
そして、山崎に愛されているという一点にのみ、自分の存在意義を求める春樹。出会いはすでに破滅の予感を孕んでいました。
事件の中核となる礼子は、自立した女性が台頭しつつあった時代背景を反映してします。彼女は強い女でありますが、女の残酷さを凝縮した存在として描かれています。
背徳を意識しつつ兄に恋心を抱き、兄の恋人の子供を身ごもることで勝者となった瞬間、運命は山崎に関っていた全ての人間を巻き込んで、不幸へと転がり落ちて行きます。

挫折感、罪悪感、空虚な自分、すべての感情を整理するためには15年という年月が、山崎には必要でした。若い自分を客観的に判断する目で、失ったものへの哀悲を淡々と見つめる山崎が、春樹に辿りつくのは運命の皮肉すら感じます。
それでも作者は、無条件の幸せを2人に与えません。
夏樹の父親を奪うことは、春樹と同じような愛情に飢えた子供を作ることにもなりかねないという試練を与えますが、何よりも危うい存在であったはずの春樹は、それを心地よく裏切ってくれます。
山崎の愛を確信することで、ただ息をしているだけのような生き方をしてきた彼に命が甦ったとき、はじめて春樹は自我を確立したと云えるでしょう。
ひたすら山崎だけを求めつづける春樹の純情と、そういう父を慕う夏樹の心理が切なく、泣かせます。いつか――夏樹が巣だったのち――春樹は山崎を追ってエクアドルに向かう日が来るのでしょうか。「テイク・ラブ」という、2人の思い出を凝縮した春樹のメインナンバーが、作品の余韻を醸し出しています。



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18:49  |  野村史子  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2002.01.08 (Tue)

「オイディプスの刃」 赤江瀑

1974年 第一回角川小説賞受賞作品                  
2000年.角川春樹事務所/ハルキ文庫より再販。

彼は、少し苦しいと言い、苦しいことはおれは好きだ、と言った。


内容
ここに一本の日本刀がある。
大迫家の三人の兄弟、明彦(あきひこ)、駿介(しゅんすけ)、剛生(ごうせい)。
彼らの許に父親から、かの日本刀が残された。そして母親からはラベンダーの香りの記憶が残される。
鮮烈な危うさをかかえながら三人はやがて離散したが、次男の大迫駿介の脳裏からは、どうしても消すことの出来ない一人の男がいた。
辛酸な、日射しの奥を透かし見るような追うような、眩しげな、そうして少し苦しげな眼を持っている男。名を秋浜泰邦(あきはまやすくに)と言った。

彼は、日本刀の研師であった。一年に一度、備中青江派の中古刃物『次吉』を研ぐために泰邦は大迫家を訪れて、五年目の夏、眩しい真夏の大迫家の庭で、泰邦は激しい謎の死を迎えたのだった。
遺体だけが残されて、誰が泰邦の腹を割いたのか、肝心な所は謎のまま時は流れ、三男の剛生は消息不明となり、長男の明彦は母の面影を辿って若手の調香師となった。
そして憑かれたように泰邦の影を追い求める次男の駿介は、京都は木屋町で、男を相手に水商売に身を沈めてゆく。

そんな彼らの前に突然現れた辣腕の調香師は、眩しい母の面影を持っていた。
大迫家の過去の秘密の部分、いったい誰が泰邦を殺したか、を知っていたその男は、永い間行方の知れなかっ弟の剛生であった。
悲劇的な決意を秘めて『次吉』を手にした駿介は、伐るべきものを伐るために、京都の雪の夜を走り抜けるのであった。
伐るべきものとは、泰邦を死に追いやった全てのものであった。それは兄であり、叔母であり、そうして手の中にある日本刀と、自分自身であった。


書評
世の中には、見つめるしかないひと、という存在がいる。
せつないくらい息をつめて、わずかな心の動きさえ見逃すまいと、見守るしかない、真摯なまでに見入るしかすることのない、少しの可能性をも許さない相手というものが確実に存在するのだ。
それは大迫駿介にとっての泰邦である。(言っておくが、そこにいっさいの肉体関係は介在しない。何故なら駿介は泰邦のうえに、母親を通して明らかに父性を見ているからである)
そして油断すれば、隙間から際限なく漏れてゆくなにか、目の前で壊れていくものを見つづけなければならない程、深いものはあるまいと思う。

ここにある悲劇を語るときに、往々にしてそのさなかにいる人物はその悲劇性に気づかないことがある。
彼らは気づかぬゆえに自分を守ることが出来る。守られなかった者は墜ちてゆくしかない。
そうして物語がすべて幕をひいたあと私が案じるのは、木屋町で大迫駿介が経営していた店の、バーテンダーのツトムのその後である。話の上ではほんの些細な役回りであるが、ここに赤江瀑作品の果ての無さを見るような気がしてならない。

駿介が泰邦の影を追ったように、ツトムも駿介の視線を振り切ろうとして振り切れないまま引きずりながら生きてゆくのではないだろうか、と。この先もずっと、と。
なにもかも、終わらないのである。いや、最初からすべてが終わっているといえばよいのか。

物語のラストで、『次吉』は血を吸って雪のふる天を映していたという。
はっきりとそうは書かれていないが、駿介のうすれゆく記憶のなかで、ツトムは慟哭しているのである。ツトムは雪のなか、走り抜ける駿介を追ってきてに違いない、そうして全てを伐りおえた最後の瞬間に、駿介に追いついたに違いないのである。
『次吉』はツトムの手に拾い上げられたと見てよいのである。あの『次吉』が、今度はツトムを魅惑しないとは誰に言えよう。ツトムにとっての駿介が、駿介にとっての泰邦でないと、誰が言えよう。

以下、余談である。
タイトルにあるオイディプスとは、ギリシャ神話のテーバイの王子である。父を殺し母を娶るという神託を恐れて、父王に捨てられた息子を指している。
これは父と息子との物語ではあるが、この作品において三人の息子たちの立場は、それぞれに違っている。
つまり長男は父の血を引き、次男は母の血を引く連れ子である。そして三男の剛生だけが、父母、両方の血を引いている。その微妙な立場の違いが、三兄弟のいわゆる三すくみ状態を生んでいる。
明彦は血のつながらぬ母に憧憬を抱き、剛生はそんな兄に激しい反発を感じるほどに兄と同種のものを抱えて
いる。そうして物語の語り手、駿介はといえば、母と密通しようとした泰邦を許しその影を追うことによって、血のつながらぬはずの父にどんどん近くなっていったのだ、といえぬだろうか。


4894567024オイディプスの刃 (ハルキ文庫)
赤江 瀑
角川春樹事務所 2000-06

by G-Tools



(この頁・栗原夏洋 記)


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