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2002.05.31 (Fri)

「黒狼秘譚Ⅲ―天の狼煙火」斎城昌美

ヴェイアノスの国土を襲った大規模な地震によって、国境線が崩壊。大規模なバウィラノスの侵攻を前に、ヴェイアノスは滅亡の危機に立たされる。
病床にあるヴェイアノスの王は王家に伝わる言い伝えに従い、アウラヴェイウェイ神の力にすがるべく、チキサムル峰の神殿に宝珠を納めることを決意。その力がどういうものかも分からぬまま、王の命令によって、ナシオリスとアシュラウル一行は神殿に向かうこととなる。

悪霊や寂しさのあまり気の狂った精霊たちが徘徊する魔霊の森で、アシュラウルは叔父であるクウィル・ヴォル神が自分を(ついでに同行者たちも)守護していたことを知る。そのクウィル・ヴォル神こそがアシュラウルが人の子であり、養い親であるロア・スタンから引き離す一端を担った神でもあった。
魔霊の森を抜け、バウィラノス軍に追尾される途中で、アシュラウルは愛するモアラをナシオりスの剣によって失うこととなる。
やがて神殿にたどり着いたとき、数多くの犠牲とともに戦いはさらに無残な結末を迎えることとなる。そしてすべてを失ったアシュラウルは、従者ベノウィックとともに海を渡ってゆくのだった。

愛する人、かけがえのない友、守ろうとした両国の犠牲の大きさ――すべてを失い、深い喪失感に呆然と立ちすくみ、背を向けるしかなかったアシュラウルが切なくて、抱きしめて一緒に泣いてやりたかった(迷惑だろう)。
戦争は奪うもの、奪われるもの。与え得るものは悲哀だけだと、突きつけられるようだった。

そして、満を持して登場(笑)!! 菫色の瞳が素敵な、そして冷酷なクウィル・ヴォル神は、これからアシュラウルの運命に良くも悪くも大きく関わってくることになります。邪まをご想像した方…そう、その通りだよん(笑)。
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2002.05.30 (Thu)

「黒狼秘譚Ⅱ-剣の時代」斎城昌美

なぜ戦わねばならぬのか――その意味はすでに見失い、続けることが目的となってしまったような「聖戦」の名のもとに、存亡をかけた二国の戦いは、アシュラウルとモアラを引き裂く。
和平を願いつつも、争いは止めるすべもなく、アシュラウルは兄の遺志を継ぎ、将軍として戦いに身を投じることになる。
父ツォロジルが亡くなり執政職を継いだモアラと、完全に敵対する立場になってしまったアシュラウルが、「この国を護る」と告げるシーンが切ない。
敵国を滅ぼすのではなく、国を護ると言った彼の哀しみと苦悩がとても痛い。運命と受け入れるにはあまりにも過酷ではないか。

辛くもバウィラノスの侵攻を食い止めたものの、更なる進攻を強要する王侯たち。しかし自軍の弱点を熟知するアシュラウルは、軍組織を改編し、守備を固めることに腐心する。
増強する敵軍に対し奇襲と策略をもって国境を死守しようとするアシュラウルに、王はバウィラノスへの侵攻を迫る。
旧態依然とした王侯たちに怒り、自軍に引きこもった彼の許にもたらされたのは、無謀な開戦による惨敗の報せだった。救援に向かったアシュラウルは敵神との戦いで力を使い果たし、長く病床についてしまう。疲弊しきった民と壊滅的打撃を受けた自軍の姿が、愚かな聖戦への妄執の結果だった。

戦略と謀略、情報操作、そして神同士の確執などなど、本当にたくさんの戦いが繰り広げられます。陰惨なストーリーに陥りがちのところを救うのが、やはりアシュラウルたち従兄弟様ご一行の掛け合い漫才と、ナシリオスの秘めやかな恋の行方です。ついクスクス笑ってしまいましたが、物悲しい章となっています。

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23:58  |  斎城昌美  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2002.05.30 (Thu)

「黒狼秘譚Ⅰ-選ばれしもの」斎城昌美

バウィラノスに漂着したアシュラウルは、執政家に引き取られ、その庇護のもとで都に幽閉される身の上となる。
彼には人に語れぬ秘密があった。人界から去った神々の王、翼ある狼(ロア・スタン)の養い子にして神の世嗣と定められていたのだ。
ルファスと名乗り貧民窟で医者として人々のために尽くすアシュラウルだが、決して神を崇めようとはせず、国王との確執は深まるばかりだった。彼を疎ましく思う神官や軍部は診療所の閉鎖を強行するが、これを契機に執政ツォロジルの娘モアラと恋に落ち、ツォロジルの娘婿としてアシュラウルは国政に携わることになる。
やがて敵国ヴェイアノスとの和平交渉に臨むのだが、仕組まれた陰謀により交渉は決裂。
さらに王太子であり従兄弟のナシリオスによって、彼の肉親がヴェイアノスの王族であったことが判明し、運命は否応なくアシュラウルをヴェイアノスに向かわせる。
敵対する神を崇め、数百年に渡って対立する二国の間で苦悩しつつ、アシュラウルは「人」として生きようとするのだが……。

そういえばシリーズ中「黒狼秘譚」の恋愛だけはまともだわ…。そのかわりアシュラウルと従兄弟たちとの掛け合い漫才が楽しめます。
このころのアシュラウルはまだ「その道」を知らず、だったのでした(笑)。

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2002.05.30 (Thu)

「神狼記―アシュラウル・サガ―」斎城昌美

本格ファンタジーの超大作。

作品は『神狼記』『黒狼秘譚』『白狼綺伝』の三部構成で成り立つ。
時系列とてしは、『黒狼秘譚』→『白狼綺伝』→『神狼記』の順となる。
どこからでも読めるシリーズ構成ではあるが、『神狼記』(特に「神狼記Ⅳ」以降)は最後にした方がよろしいかと思われる。

人として生を受けながら、神々の王の日嗣として育てられた「神狼」アシュラウルは、運命神によって再び人間の世界に戻される。
故郷での激しい戦乱ですべてを失った彼は、争いのない世界を夢見ながらたどり着いた新しい大陸でも、否応なしに人間社会の争いに巻き込まれていく。
争いを憎みながらも、やがてアシュラウルは大陸制覇を目論む獅子王ダリュワーズが統治する強大な帝国に立ち向かっていく。
その影には神々への復讐を窺う、邪悪な妖魔の存在があった……。

強くて美しいの主人公というのはファンタジーではお約束かもしれないが、神の強さと人間の弱さを併せ持つアシュラウルが(彼は半神。人間としては無敵ともいえるが、神としては極めて非力)、対等以上の強敵や非情の運命に挑む姿に、もう惚れきってしまった。

ファンタジーを縦糸に、歴史戦記が紡がれ織られていくストーリーは圧巻。
丁寧に構築されていく歴史と、剣と魔法とドラゴンの世界が違和感なく融合しており、歴史物、戦記物好きな私の、もうツボ押しまくりの作品である。

むろん、JUNEではない。ないのだが、主人公アシュラウルの懊悩、葛藤、彼を愛する叔父神クウィル・ヴォルとの確執、ダリュワーズの執着など、JUNE的要素が秘められている。無論それなりのシーンもあったりして、邪まな読者(私)の心をくすぐる。そのうえ美貌の殿方が揃っているとなれば、何をか言わんや、というものである。

シリーズを刊行していた大陸書房なき後、どうなってしまうのかとファンをヤキモキさせたが、中央公論社より新たに書き下ろしとして出版された。
完結までになんと10年の歳月を要するも、ジュブナイルの大陸版と、大人の読者を意識した中公版と、ファンとしては2度楽しませていただいた。

余談だが、歴史を構築していく作品に私が弱いことに気づいたのは田中芳樹氏の「銀河英雄伝説」だった。
どうやら私は、歴史という壮大な流れに巻き込まれ押し流され翻弄される人間を描いたものに弱いらしい。ちなみに「銀英伝」は同人煩悩に火のついた作品だった(笑)。


↓『神狼記―アシュラウル・サガ―』作品リスト

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2002.05.16 (Thu)

「獣林寺妖変」赤江 瀑


血天井は、消え去らぬ人影の棲み家である。

初出/1971年8月 講談社

内容
獣林寺は、血天井を擁する禅寺である。
この寺で、ある科学調査が行われたことから物語は幕をあける。
調査の結果、古いはずの人血の中から、強力なルミノール反応を持つものが現れたのである。つまり死後一ヶ月程とみられる新しい血痕が、武士たちのそれに隠れて、天井の角の方でひそかに息づいていたのだ。

努はその山寺の庭にひとりただずんで、最後に見た崇夫の姿を思っていた。
努は歌舞伎俳優である。大学専門部卒業と同時に歌舞伎界入りした、言葉は俗だがいわゆるコネのない「カレッジ俳優」である。四年目にようやく一本立ちして名題役者の仲間入りしたものの、外の世界から飛び込んだ彼に、本興行でほとんど役らしい役がつくことはない。そういう世界である。崇夫も努とともにそんな道を辿ってきた同志だった。

だが、と努は思い返す。崇夫の方は努とは違う道を選んだのだった。
崇夫は名題役者のプライドを捨てて『明木屋』の門を叩き、部屋子となる。
それは彼にとって独立の道を捨てることであり、長い葛藤の道の入口でもあった。
徒弟組織のなかで、『明木屋』の部屋子でありながら、あくまで『乙丸屋』に固執する崇夫への周囲の軋轢があらわになったからである。なぜ崇夫がそこまで『乙丸屋』にこだわったのか、それは『乙丸屋』だけがいわば魔の世界を持っていたからだといえる。

女形だけが歌舞伎の魔の中心に近づけるんだ、俺はこの眼でそれが見たいんだ、あの光の中心に、あのまばゆいものの真ン中に何があるのか、どうしても知りたいんだ、と崇夫は言った。そして、彼はいきなり歌舞伎界から消えた。消えるはずのない熱情であったはずだのに、崇夫は見事に痕跡を残すこと無くいないなってしまった。「この血天井のなかに、女の流した血があるのだろうか?」という言葉を努に残したまま。

努は駆り立てられる。彼は獣林寺の血天井の下で、新しい血痕を見上げていた。
あの血痕は崇夫のものではないのか、と。そして彼は、崇夫の後を追わざるを得なかった。
努は『乙丸屋』の愛人たちを追い、彼らの身体の中に、愛撫の内に『乙丸屋』の魔を求める。
それは皆、行方をくらます前に崇夫がなしてきたコトだった。大命題である『乙丸屋』にたてつく行為、崇夫にしても努にしても、役者生命を賭してのことだった。
やがて『乙丸屋』が立ち上がる。魔に魅入られて、努も立ち上がった。

書評
JUNEには負の部分が多くある。
男と男が身体でつながっていりゃJUNEだ、と思われるむきには無理に反論しないが、大きく言えばこの物語はJUNEというよりも、負けゆく者たちの「負」の話である。
それははじめから当人たちにだってわかっている。実は勝ちたいなどとは思っていないらしい。そしてどうあがていも勝てないと判った時に、どのように負けようかという問いかけは生きつづけている以上、避けることができない命題であると思うのだ。

時として、勝ったはずが負けたとしか思えない虚しさを覚えることもあろう。そしてここに展開される崇夫と努の負け方は、極めて対極的のように見える。負ける者たちの話はどうやって彼らが負けていったのか、そのあたりが描かれないとまるでお話にならないのだ。ここいらは氏の得意分野であり、秀逸である。そして勝ち負けにまるで関係ない場所で育まれるものが、どんなに魅惑的に映るかを赤江氏は流暢に語る。
月並みな言い方をしてしまうと、歌舞伎に限らないが芸術芸能の世界ほど「平等」やら「公平」という言葉が空洞化するところは他にないと私は思う。
実は平等というのは厄介だ。何を以って平等というのかを語れば尽きることはないが、形状としてのイメージに結び付ければ、つまりは「ひらたい」ということだろう。起伏がすくないことは人間全体の秩序の維持にとってはよいことだが、秩序は時として無感動である。

そして血天井のすみで、強力に光をたたえた二つの血痕といえば、武士たちの秩序だったそれに混じって現世を見据える野獣の双瞼として登場する。けっして無感動ではありえない。それは時として永く越えて、魔の混沌からじっと息を殺し、声もない私たちの秩序に牙をむくのだ。

そして『乙丸屋』はといえば、その高みにありながら密かに牙を研ぐ、得体の知れぬものの象徴である。作者はその高みを「神通力のようなもの」と比喩している。
そんなものに勝ち負けがあるとしたら、それは表に出ることなく静かに結論づけられてしまう種類のものであるに違いない。ひとは生きていくうえで、際限なく勝ったり負けたりするものだが、あのひとが勝った、あるいは負けた、と周囲から観て簡単に判る種類の勝ち負けは、実はそれほど大きな勝負ではない。問題は本人しかわからない勝ち負けである。そういう勝ち負けは、ひとの命を左右する力がある。努と崇夫を見ていると、そうとしか思えない。

行方をくらました崇夫は、すでに物語にその生身をさらすことは無い。彼の生身とは、男に組み敷かれている女のそれである。
崇夫は努の記憶のなかでのみ生きており(ひとは往々にしてそうである)、失踪のその理由についての決定的記述は一切なし。あくまでも努の推測のなかで、熱情的に結論が語られるに過ぎない。

だから、というわけでもないのだが、崇夫がなぜ乙丸屋の部屋子にならなかったのか? という疑問は否めない。彼は『明木屋』じゃあなくて『乙丸屋』に弟子入りすれば何も問題なかったんじゃないのか、と思う。なにか事情があったのかもしれない。おそらくあったはずである。しかし、そのへんを知らんふり(?)して通りすぎるあたりの強引さは唯一気に食わない。
などと、まるでどこかの辛口映画監督のように思うこともあるのだが、その疑問は乙丸屋の神通力の前では、途端に色褪せてしまう。
そこで読者(私)は気づく、これこそが魔の正体だと。私は今、魔に見入られているのだと。なんちって。


獣林寺妖変 (講談社文庫) 

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2002.05.02 (Thu)

「被虐の荒野」神崎春子

ナザレの人につき従う、使徒のようだ……


初出1987年12月-1990月4月まで4回に渡って「小説JUNE」連載。
こりゃまたずい分古い作品(もの)を……(汗)。
ハードな作品が多い神崎さんだけど、今になって思うと、当時はまだ神崎さんにしてはおとなしめだったみたいです。まだハードJUNEの範疇に入っていました。この後、一気にハードSM系に突入したように思います。

kanzaki_0a.jpg  被虐の荒野 (耽美小説SERIES)
  神崎 春子
  勁文社 1992-12
4766917421







内容
菫色の瞳が美しくはあるが、寂しげな青年、メラニー・マーフィはテキサスの牧場で働いていた。
彼はある日、馬を届けに行ったウィンスロウの保安官事務所で、お尋ね者となったアレックのポスターを見つける。銀行強盗にして、父親殺し……愕然としながらもメラニーは、保安官ヴァローに知らない男だと答える。

だが、かつてメラニーはアレックの父サンダーズに救われ、アレックとは兄弟同然に暮らしていた。
あの夜……サンダーズとの情事を、アレックが見てしまうまでは。

「誰をも不幸にしてしまう腐った林檎」……おのれの存在が人を狂わすのだと、罪を重ねる危険な生き方を選んだアレックに、メラニーは罪の意識を感じずにはいられなかった。

メラニーは自分を責め、苛烈で理不尽な運命をも呑み込んでゆく。
しかし、メラニーのそんな生き方は、暴力、レイプという形で関わってくる、醜悪で常軌を逸した男たちの魂さえも、やがて救っていくのだった。

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